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【書評】書きあぐねている人のための小説入門

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私のモレスキンの冒頭数ページに書かれているやりたいこと、夢の中にこんなものがあります。

・Football Barを営む
・Gadget Barを営む
・物書きか絵描きになる

上の二つはまあ置いておくとして、物書きか絵描きになるっていうのは、別にそれで生計を立てるってことは抜きにしてやってみたいなあと思っています。

でも私には文才も画才もない。でも小難しいこと考えたり、それっぽいこと書いたりするのは好きだし、くだらないことをアウトプットするのも大好き。

そんなことを話した時に会社の先輩から薦められたのがこの本。

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)
保坂 和志
¥ 700



書くだけでなく、その他色々と「あぐねている」私ですが、読んでみました。
この本はテクニックとか、構成とか具体的なものは殆ど述べられていません。そもそも小説って何?という部分を著者ならではの物を書く上での心構えだとか、臨み方だとかいうところに焦点を当てている本でした。

以下ほとんど引用になりますが...。

・小説を書くということ
ある人が発した言葉には、その人なりの身体性や経験が反映されている。
「小説を書く」ということは他人が発した言葉を自分の言葉に置き換えるということである。
小説とは「書きながら自分自身が成長するもの」あるいは「書く前の自分より書いた後の自分の方が成長しているもの」
時折、村上春樹や東野圭吾の文体とかを真似してみたくなるけど、その時点でそれは「小説」ではない。

・ストーリーテラーと小説
事前の青写真どおりに書けた小説は運動性(書いているうちに勝手気ままな方に進む)がないからつまらない。
音楽であれ、小説であれ、表現というものは、たえず逸脱するものをはらんでいないと、やがて滅んでいく。
ここでいう運動性、というのは小説に限らず、手で物を書くという時に特に大きな力が生まれてくるように思います。

・小説と哲学
小説という表現方式も哲学と同じように、"答え"を書くためにあるのではなく、最初の一行から最期の一行までに至る全体として提示されるもの
フロイト以前、人間は意識がすべてであり、意識が無意識によってたえずゆがめられているなどとは誰も考えていなかった。しかし現実には、私を「私」と思う意識は、無意識という激しく波立つ水面に浮かんだ筏のように不安定なものでしかない
今、この時間、この場にいる「私」は決して「私」の全てではないということ。小説を書く、ということからは離れてしまいますがグッときた。

・風景を書く
風景を書くということは実は難しい。そもそも三次元であるものを無理に文字という二次元のものに詰め込んでいるから。
だから風景を書くにあたり、たくさんのことを考えることで、技量も確実に上がる。(中略)ここで言う技量とは、書こうとすることが思い通りにかけなくても感嘆に投げ出さないで、それに辛抱強く労力や時間を費やし続けることが出来るようになる。
風景描写には、"風景を見るときの時間の長さ"と"書かれた風景を読むときの時間の長さ"が違うという問題がある。
思えば「風景を書く」ということは「あるものを文字で表現する」ということの難しさを端的に教えてくれるような気がします。

・その他グッときたところ
論理的な思考というのは難しいと思われがちだが、論理も言語もどちらも線的(直列的)な構造であるため、人間の脳にとっては同じ質の作業に属するのでさほど難しいことではない。しかし、知覚全般は一挙的(並列的)なため、それを線的(直列的)な言語に置き換えるのは脳にとって負担が大きく、それゆえ感動も大きくなる。
知覚はある事象に対して「熱い」「大きい」「四角い」ということを一挙に感じるけど、論理的思考や書くということについては線的構造になる。
熱くて大きくて四角い、のと、四角くて大きくて熱い、のとではまた違った印象を与える。知覚を完全に再現することは難しい。
「自分に別の人生があったんじゃないか」と不意にリアルに感じた瞬間は、もっとずっと面白い。その瞬間の気持ちは不安定でどこにも着地しようがない感じがする。日常生活で何にも回収されようがない感じがする。その感じこそが何よりも面白い。
小説は"細部"が全体を動かすという独特の力学を持っている表現形態なのだ。
制作のプロセス自体に楽しみや喜びを見つけることができなければ、作品を完成させることができない。だから"作品の完成"とは、制作のプロセス自体のことなのだ。
当然プロセスには苦しさ、厳しさもつきまとう。

全般を通して特に印象に残ったのは以下のようなことでした。
・小説は最後を決めて書かないということ。書いているうちに思わぬ方向に書き進むということが面白さを生む。
・今までの小説感(自分ないし世間一般の)から逸脱すること。
・小説を書くことによって書いている本人自身が成長する。成長させてくれるようなものが小説である。

小説入門、と銘打たれているものの、私はこれは「文字で書き表すもの」全般に言えることなのではないかと感じました。長い短いはあれど、自分の言葉で、表現でどう書くかを試行錯誤し、アウトプットする。そのプロセス自体が自分自身を成長させる。

「書きあぐねている」というのはまさに成長しようとしている途中の状態なのだと。だから「書きあぐねている」ところで決してやめずに少しでも自分なりの言葉、自分という身体性、経験が反映された言葉でアウトプットしてみる。ということが結果として自分にとっての成長につながるのだと。

私が将来小説を書くかどうかはわかりませんが、これからもこのブログや各ソーシャルサービスで自分の言葉で文章を紡いでいくことにします。

あとがき
このエントリーはすこしシラフではない状態で書いています笑。
そしてシラフの時に改めてこのエントリーを見直してみたい。
どっちの状態も「私」であることに変わりはありません。それを残しておくことも大事かなあと。

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